pyonsuke

ドールオーナーです。割と多趣味なので色んなことを更新します。

これぞ焼斎‼︎

今回私は美術館「えき」KYOTOで行われていた、『これぞ暁斎‼︎』に行ってきた。
河鍋暁斎は幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、日本画家である。
まず、わたしが取り上げる作品は
『鯰にのる猫』である。鯰は江戸時代、地震をもたらすものとして考えられていた為、鯰を懲らしめるといった作品は多々ある。そしてやはり、こういう考え方が生まれてくるのは地震大国日本であり、当時首都であった江戸が度々の地震、それによる火災などにより散々悩まされたからこそだと思われる。
『鴉と鷺』は白と黒でとても対照的に描かれていた。焼斎の作品は動物と描いたものが多いが、その中でも鴉には特別な思い入れがあるのか、とても多く描かれていた。こちらの作品の鴉は落ち着いた顔をし、遠くを見据えていたが、『鳥瓜に二羽の鴉』など、食物が成る木に止まる鴉は自分の所有物を取られたくない、自分の領域を侵されたくない、というように顔は険しく威嚇していた。
『蓮の上でおどる蛙』はその時の日本の大道芸がどうであったかが伺える。しかし、日本の大道芸というよりも、海外のサーカスといった表現のがあっている気がする。また蛙で描かれる事で、可愛らしさが増し、ぴょんぴょん跳ねるように動く蛙が大道芸という題材にはぴったりであった。
『上野の教育博物館と第二回内国勧業博覧会』この掛軸には洋風の布が使われていたり、花束の刺繍っが施されていたのは、明治だからこその作品だ。またこれが内国勧業博覧会だからこそ、このように施したのだと思った。
『五聖奏楽図』磔刑にされているイエス・キリストの周りに孔子、釈迦、老師、神武天皇がいた。磔刑にされていたキリストの手には鈴と扇子を持ってた。この作品はユーモラスを感じてしまう。
何故キリストが鈴と扇子を持っているのか、なぜ演奏しているのかという疑問が湧く。イエス・キリストの死を想う鎮魂歌かとも思うが、それにしたらキリスト自身が鈴を持っているのはいささかおかしい。答えは脚注には記されてはいなかった。
『蛙の人力車』人力車の車輪が蓮の葉なのが可愛らしかった。
『各国人物図』では、この時代に日本人がどういう風に、世界の人物を見ていたがよく見て取れる。この画では、象と駱駝が描かれており、どちらも同じ大きさだった。駱駝のが少し前にいて遠近法として、みても少し大きすぎる気がする。ひょっとしたら焼斎は本物の駱駝は見ずに画か何かをみてそれを参考にして描いたのかもしれない。なぜ、駱駝をここまで大きく描いたかというのは、イソップ物語の『駱駝のお目見え』からイメージしたのだと思う。この話の最初には「初めて駱駝を見た時、人々は恐怖にとらわれ、その大きいのに胆を潰して逃げ出した。」とある。幕末期に海外から象が入ってきて、みなその大きさに恐怖したことから、駱駝もそのくらいの大きさだと思ったのではないか?
『幽霊図』これは完成されたものと、下書きがあり、下書きには薄く別の絵が描かれていた。書損じかはわからないが、リサイクル文化があったことはよくわかる。下書きに比べ、完成された『幽霊図』は髪の乱れ具合、月明かり、こちらを睨む表情に凄みがあった。また全体的に靄がかかったようになり、生きている人物とは思えない、これは幽霊であるということが、一瞬で見て取れた。
『朝比奈三朗絵巻』では、日本版のガリバー旅行記といった感じで、巨人が人間に捉えられていた。巨人という考え方は日本古来のものではなく、外来から来た思想であるとおもわれる。巨人という題材を扱った作品を見るのはこれが初めてだ。焼斎はしかもイッソプ物語を扱った作品も多く書いている。イソップ物語古代ギリシャにて作られたものであり、古代ギリシャの神々は人間より巨大な存在だと考えられていた。日本版ガリバー旅行記として描いたのであろう作品の他、巨人を扱った作品では、この古代ギリシャの考え方も念頭にあったのかもしれない。

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